ヨルシカ「夕凪、某、花惑い」歌詞の意味を考察&解釈|ロックンロールを書いたあの夏を歌いながら、想い出に苦しみながら。


今回はヨルシカ「夕凪、某、花惑い」歌詞の意味を考察&解釈していきたいと思います。

2019年4月にリリースされた1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」で主人公の青年・エイミーから送られてきた手紙に影響を受けた、少女・エルマが手掛けたとされている2ndフルアルバム「エルマ」。その14曲の収録曲のうちの1つがこの「夕凪、某、花惑い」となっています。

作詞や作曲など楽曲のコンポーザーを担当するn-bunaさんと歌い手のsuisさんが紡ぐ音楽は若い世代を中心に大きな熱狂を生み出しており、今回のフルアルバム2つもその色鮮やかな世界観が多くのファンを魅了しているところ。

特にヨルシカの楽曲と言えば今回のように2つのアルバムの世界戦が繋がっていたり、考察のしがいがある物語性のある音楽が特徴的ですが、今回の「夕凪、某、花惑い」の歌詞などにはどういった意味合いを込めたのでしょうか。詳しく考察&解釈していきましょう。


ヨルシカ「夕凪、某、花惑い」歌詞の意味を考察&解釈。

ヨルシカ – エルマ (Album Trailer)

ということで早速内容に入っていきたいと思いますが、今回見ていくのがこちらのヨルシカの新曲「夕凪、某、花惑い」

現状上記のアルバムトレイラーから楽曲の一部を聴くことができますが、歌詞については以下のようなところとなっていました。

「夕凪、某、花惑い」ヨルシカ
作詞・作曲:n-buna

夏になる前にこの胸に散る花火を書いた
夜が来るから明後日の方ばかりを見てる

口に出してもう一回 八月某日を思い出して
僕には言い足りないことばかりだ

ギターを鳴らして二小節
この歌の歌詞は380字
ロックンロールを書いた
あの夏ばっか歌っていた

さよならだけじゃ足りない
君に茜差す日々の歌を
思い出すだけじゃ足りないのさ
花泳ぐ 夏を待つ 君は言葉になる

忘れないようにあの夏に見た花火を書いた
想い出の僕ら、夜しか見えぬ幽霊みたいだ

何にも良いことないんだ
この世は僕には難解だった
君が教えなかったことばかりだ

ピアノを弾いてたホール
あのカフェももう無いんだ
僕らを貶す奴らを殺したい
君ならきっと笑ってくれる

このままじゃまだ足りない
僕ら花惑う風の中を
思い出すほどに苦しいのさ
夏が来る 夢を見る
心に穴が空く

唄歌うだけじゃ足りない
君に茜差す日々の歌を
美しい夜が知りたいのだ
花惑う夏を待つ僕に差す月明かり

ヨルシカの1stフルアルバム「だから僕は音楽を辞めた」では、青年エイミーが音楽を辞めることになった理由や経緯について主にフォーカスが当てられており、彼が音楽を辞める決意をしてから旅に出た中で綴った「手紙」が楽曲としても再現されていました。

そして今回の2ndフルアルバム「エルマ」では、手紙を受け取り影響を受けた少女エルマが綴る日記・物語が主に楽曲としても再現されています。

 

また、そういったコンセプトを前提とした上で、「だから僕は音楽を辞めた」と「エルマ」の2つの楽曲はそれぞれ対応し合っていることでも知られています。改めて両アルバムの収録曲を見ておきましょう。

「だから僕は音楽を辞めた」:エイミー視点

  • 8/31
  • 藍二乗
  • 八月、某、月明かり
  • 詩書きとコーヒー
  • 7/13
  • 踊ろうぜ
  • 六月は雨上がりの街を書く
  • 五月は花緑青の窓辺から
  • 夜紛い
  • 5/6
  • パレード
  • エルマ
  • 4/10
  • だから僕は音楽を辞めた

「エルマ」:エルマ視点

  • 車窓
  • 憂一乗
  • 夕凪、某、花惑い
  • 雨とカプチーノ
  • 湖の街
  • 神様のダンス
  • 雨晴るる
  • 歩く
  • 心に穴が空いた
  • 森の教会
  • エイミー
  • 海底、月明かり
  • ノーチラス

こうして並べて見てみると気づいたかもしれませんが、例えば「藍二乗:憂一乗」「詩書きとコーヒー:雨とカプチーノ」「エイミー:エルマ」といったように少し似通ったタイトルがあります。これはエイミーが綴ったそれぞれの手紙に対するアンサーソングのような意味合いでエルマが日記を綴ったとされているためです。

ですので今回の「夕凪、某、花惑い」は前作の「八月、某、月明かり」に対応している楽曲ということにもなります、改めて前作の楽曲も聴いておくとさらに理解も深まるかもしれません。

だから僕は音楽を辞めた (Album Trailer)

さて、そういった前提を踏まえた上で「夕凪、某、花惑い」の考察にも入っていきましょう。

「夕凪、某、花惑い」というタイトルに込められた意味。

夕凪、某、花惑い

まず、そもそものタイトルである「夕凪、某、花惑い」にはどういった意味合いが込められているのかというのが気になるところ。

他の楽曲は比較的意味の取りやすいものだったりするのですが、今回のタイトルは少し難解かもしれません。1つ1つの単語の意味を見ていきましょう。

まず「夕凪」という単語についてですが、次のような意味合いがあります。

海岸地方で、夕方の海風から陸風に交替する時に、無風状態になること。

海辺の地域では陸風と海風が切り替わる夕方のわずかな時間にだけ無風状態(凪)になるのですが、これを「夕凪」と言います。

様々な描かれ方はありますが、夕凪が発生しているということは静かな状態であることや海に沈む夕日が見えていることを同時に表しているので、「青春」をテーマにした映画のワンシーンや歌謡曲の題材などとしても取り上げられることが多いようです。

「三丁目の夕日」なんてものも、夕凪とはまた違ったイメージかもしれませんが「夕日」「夕方」というのは1つ青春の日々を思い出す一要素であることは確かですね。

 

実際に「夕凪、某、花惑い」の歌詞の中にも、次のような「夕凪」「夕方」などをイメージさせるワードがいくつか見受けられました。

  • 口に出してもう一回 八月某日を思い出して
  • 君に茜差す日々の歌を

ちなみに夕凪は夏の季節に起こるものとしても知られているので、今回の「夕凪、某、花惑い」は夏の想い出を歌ったような楽曲であることが想像できるでしょう。

 

次に「某」という単語ですが、これは「それがし」と読むように個人的には解釈しています。

というのも以前にヨルシカのナブナさんが「八月、某、月明かり」の「某」は「なにがし」と読む、というようなことをライブで言っていたということもあり、それに対応する形で今回のタイトルは「それがし」と読むのではないかと感じました。

ナブナさん自身はどのように読んでも構わないと話してはいましたが、仮に「それがし」と読むとすると次のような意味合いがある単語であることがわかります。

  • だれそれ。だれだれ。(不定称の人称代名詞)名のはっきりしない人、または知っていても明らかにする必要のない人をぼかしてさす。
  • 私。(自称の人称代名詞)男性が少し謙遜して用いる。

個人的には主に一人称として名前を出さずに自分のことを指す場合に使うイメージがありますが、本来の「誰もわからない人」という意味が転じて「自分は誰というほどのこともないつまらない人間です」と自分をへりくだっていう一人称になったともされています。

また、予備知識程度ですが「某」という漢字にはもともと「梅」という意味があったとも言われているのですが、「”梅”の音が暗い意味を持つ漢字の音と同じだった(mbai=kurai)」ということから「だれそれ」というようなはっきりとしない意味で使われるようになったとも言われているようです。

 

ここに加えて「花惑い」についても見ていきたいと思いますが、惑うという言葉には「やり場のない気持ち」や「うろたえ判断に苦しむこと」というような意味合いがあります。

その上で「某(それがし)」の意味とも合わせて考えてみると、エルマの懐かしさ・悲しさ・虚しさ・物足りなさといった複雑な感情の中で渦巻いている「やり場のない気持ち」やはっきりとしない曖昧さを表しているのではないでしょうか。

 

それを「夕凪」という青春の象徴を表すような単語も含めると、結果として今回の「夕凪、某、花惑い」はエルマが想い出の中を彷徨いながら、はっきりとしない曖昧な感情そのものを歌っている。というような意味合いが込められているように感じました。


ロックンロールを書いた、あの夏ばっか歌っていた。

ヨルシカ – エルマ (Album Trailer)

「夕凪、某、花惑い」

夏になる前にこの胸に散る花火を書いた
夜が来るから明後日の方ばかりを見てる

口に出してもう一回 八月某日を思い出して
僕には言い足りないことばかりだ

ギターを鳴らして二小節 この歌の歌詞は380字
ロックンロールを書いた あの夏ばっか歌っていた

さよならだけじゃ足りない
君に茜差す日々の歌を
思い出すだけじゃ足りないのさ
花泳ぐ 夏を待つ 君は言葉になる

そういったタイトルの解釈の上で歌詞についても見ていくと、まず冒頭部分からは前述したように「夏の想い出」をエルマが思い返す様子が描かれていました。

「八月某日」はまさに夏の想い出そのもので、以前にエイミーと過ごした夏の日々、ロックンロールを書いた(一緒に音楽を楽しんだ)あの夏を思い出している。そしてそれをエルマ自身が歌にして歌っていることもわかります。

「茜差す日々」もそういった過去の想い出のことで、夕日が青春を象徴しているようにエルマにとってはまさにエイミーと過ごした日々は青春そのものだったのでしょう。

 

ただ、エルマは「僕には言い足りないことばかりだ」とも綴っているように、エルマは過去の思い出に対して後悔の念・やり残したことを感じているようにも思えます。

「この胸に散る花火」というのも後半の歌詞で「忘れないようにあの夏に見た花火を書いた」と綴っていることから、そういった夏の想い出が「散る=過去のものになる」という経過を意味しているようにも感じます。

「明後日の方ばかり見る」というのもそうですね、明後日の方角には主に以下のような意味合いがあることも押さえておきましょう。

突拍子も無い、めちゃくちゃな、てんで見当違いの方角。

「明日」のことであれば今日との関係で大方想像できるかもしれませんが、「明後日」のこととなると案外見当がつかなかったり見込みが立たなかったりするものです。

そういったことからも見込みが立たないようなことを「明後日の方角」ということが多いのですが、ここでは過去のものになりつつある想い出に対するエルマの後悔・虚しさ・遣る瀬無さが描かれているのではないでしょうか。

「藍二乗」と「詩書きとコーヒー」のとある一節。

ヨルシカ – 藍二乗 (Music Video)

冒頭部分だけでもかなりてんこもりとなってしまっていますが、加えて以下の2箇所はヨルシカの他の楽曲を想起させるものがあります。

  • ギターを鳴らして二小節 この歌の歌詞は380字
  • 花泳ぐ 夏を待つ 君は言葉になる

それぞれ見ていくと、まず「この歌の歌詞は380字」という歌詞からは「藍二乗」の以下のフレーズが浮かんだ人も多いのではないでしょうか。

「藍二乗」

この詩はあと八十字
人生の価値は、終わり方だろうから

少しフレーズは違うもののそれぞれエイミーとエルマは、楽曲の歌詞の「文字数」について言及しています。

このことから何が考えられるのかというところなのですが、まず「藍二乗」という楽曲はエイミーが旅の中で書いた1曲目の楽曲でした。

実際に藍二乗が書かれた「3/21」からおよそ1ヶ月後にエイミーは人生最後の旅に出るのですが、「人生の価値は終わり方だろうから」とあるようにこの時点でエイミーは自身の「最期」についても考えていることがわかります。

そういった意味で「詩の文字を数える」ということは「人生の残りを考える」ということに繋がるように個人的には解釈しており、エルマもまた、文字の数え方こそ多少違うものの「自分の最期について考えている」もしくは「旅に出ることを考えている」のではないでしょうか。

 

現に、この「夕凪、某、花惑い」が書かれたとされる日にちは「3/22」で、エイミーが藍二乗を書いた日付にも限りなく近いものとなっていました。夏の前に門出をする、というわけです。

「花泳ぐ」という共通のワードが両楽曲の歌詞に登場していることも、何かしらの繋がりがあるのかもしれませんね。

 

また、一方の「君は言葉になる」という歌詞からは「詩書きとコーヒー」の以下のフレーズが思い浮かびます。

だから僕は音楽を辞めた (Album Trailer)

「詩書きとコーヒー」

わかんないよ わかんないよ
想い出になれ 君よ詩に成っていけ

ここでは「詩になる=想い出になる」ものとして描かれているのですが、これは「言葉になる=想い出になる」というように今回の歌詞に置き換えることもできます。

実際に「忘れないようにあの夏に見た花火を書いた」という歌詞がこの後にも続いているように、エルマはエイミーとの日々を言葉=歌にすることによって想い出にしている(残している)のではないでしょうか。

加えて補足として、これは個人的な解釈にはなりますが、そんな「詩書きとしてのエイミー」と「歌い手としてのエルマ」はまさにナブナさんとスイさんの関係性そのものを表しているようにも感じ、両者を重ねて楽曲を聴いてしまいます。妄想のしすぎ、ですね…笑。


苦しいほどに、心に穴が空くほどに、愛おしい。

ヨルシカ – エルマ (Album Trailer)

「夕凪、某、花惑い」

忘れないようにあの夏に見た花火を書いた
想い出の僕ら、夜しか見えぬ幽霊みたいだ

何にも良いことないんだ
この世は僕には難解だった
君が教えなかったことばかりだ

ピアノを弾いてたホール
あのカフェももう無いんだ
僕らを貶す奴らを殺したい
君ならきっと笑ってくれる

このままじゃまだ足りない
僕ら花惑う風の中を
思い出すほどに苦しいのさ
夏が来る 夢を見る
心に穴が空く

唄歌うだけじゃ足りない
君に茜差す日々の歌を
美しい夜が知りたいのだ
花惑う夏を待つ僕に差す月明かり

さて、後半部分については大方タイトルやこれまでの考察から意味合いが取りやすいとは思います。

散りゆく花火、想い出になっていく日々。でもそんな日々を忘れないように、エルマは言葉として想い出を綴っていきました。

まさかの「夜しか」という「ヨルシカ」の由来となった言葉も出てきていましたが、「夜しか見えぬ幽霊みたいだ」という箇所は想い出の存在が曖昧であることや、想い出の中では会えても現実ではエイミーに会うことのできない空虚さを皮肉っているようにも思えます。

 

また、そうして想い出の中を彷徨っていく中でエルマらしからぬ強い口調の言葉も出てきます。

「僕らを貶す奴らを」の箇所はまさにそうで、これは「八月、某、月明かり」でエイミーが綴っていた「気に食わない奴」に当たるものではないかなと思いますが、それだけ強い感情が生まれるほどエイミーを想っているということでもあるでしょう。

「八月、某、月明かり」

心臓が煩かった
笑うほど喉が渇いた
初めて心を売り出した
狭心もプライドも、もうどうでもよかった
気に食わない奴にも頭を下げた

「思い出すほどに苦しいのさ」「心に穴が空く」というようにも言っていることからも、エイミーとの想い出や彼の存在はそれほどまでに愛おしく、そしてだからこそ彼を失ってしまった・今は会うことができないことに対する空虚感や苦しみも大きいはずです。

 

ちなみに「心に穴が空く」と言っていることからまだ実際に心に穴が空いているわけではなく(実際に心に空くってなんだ…)、9/6に綴られたとされる「心に穴が空いた」で、夏を終え本格的に空虚感が増したということなのだと解釈しています。

ヨルシカ – 心に穴が空いた (Music Video)

そう思うと「夕凪、某、花惑い」の時点でのエルマと、「心に穴が空いた」の時点でのエルマの心境には大きな差があることもわかります。改めてMVを見ると、見ているこちらの心が本当に痛むばかりです。

 

そして最後に、今回の楽曲でエルマは「僕には言い足りないことばかりだ」と言いました。

3/22という夏の前の季節に書かれたエイミーとの日々を思い返す歌であるのと同時に、やはりエルマには曖昧で、はっきりとしない感情が渦巻いているように感じます。

さよならだけじゃ足りない。思い出すだけじゃ足りない。このままじゃまだ足りない。唄歌うだけじゃ足りない。エルマの頭には足りないものが浮かぶばかり。

そんなエルマがこれからどのような道を歩んでいくのか。「唄を歌うだけでは足りない」ならばきっと、言い足りないことを伝えるために、エルマはエイミーの元へと向かっていくのかもしれません。物語は続く(考察も続く…)。


まとめ

ということで今回は、ヨルシカの「夕凪、某、花惑い」の歌詞の意味について解釈や考察を行ってきました。

実際にアルバムがリリースされる時期が夏の終わりに近づいたものであるように、まさにエイミーとエルマの物語も「終わり」へと確実に近づいていっています。

今回の「夕凪、某、花惑い」は力強いスイさんの歌声や疾走感のあるメロディーが印象的でしたが、それはエルマの曖昧な感情を象徴した「心の叫び」のようにも聴こえました。

ヨルシカ – エルマ (Album Trailer)

果たしてエルマは、エイミーはこれからどうなっていくのか。彼女の想いは届くのかどうか。

気になることばかりで夜しか眠れませんが(眠れるんかい)、引き続き楽しく考察なども行っていきたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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