尾崎世界観が語る本名「尾崎祐介」と芸名の由来や意味|「伊野尾慧とそっくり似てる」説もあるが本人はうんざり…

尾崎世界観
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今回は人気ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル兼ギターを務める尾崎世界観さんについて、「尾崎祐介」という本名や芸名の由来・意味、そしてHey!Say!JUMPの伊野尾慧さんと「そっくり似てる」と言われていることなどについてまとめました。

今では人気アーティストとして絶対的な立ち位置を確立した尾崎世界観さんですが、芸名の由来ともなった下積み時代のエピソードには、多くの物語と強い思いが秘められています。

そして何より名前だけでなくそのハイセンスな音楽性も印象に残るのが尾崎世界観さんの特徴、そんな尾崎世界観さんについてまとめてチェックしていきましょう。

目次

尾崎世界観の本名などプロフィール総まとめ

 
 
 
 
 
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芸名:尾崎世界観(おざきせかいかん)

本名:尾崎祐介(おざきゆうすけ)

生年月日:1984年11月9日

年齢:34歳

出身:東京都葛飾区

身長:166cm

血液型:O型

最終学歴:修徳高校卒業

所属:クリープハイプ(ボーカル兼ギター)

職業:ミュージシャン・作詞家・作曲家・ボーカリスト・ギタリスト・シンガーソングライター・小説家

1984年生まれで東京都葛飾区出身である尾崎世界観さん、実は本名は「尾崎祐介」ということが判明しています。

思ったよりもシンプルな名前だなと、人の名前に優劣をつけるわけではありませんが芸名である「尾崎世界観」のインパクトが強いので、個人的にも本名を知ったときには驚きました。

 

そんな尾崎世界観さんは人気ロックバンド「クリープハイプ」のボーカル兼ギターを務めており、バンドにおいても中心的な存在。

クリープハイプは数多くのヒット曲を輩出し今や日本を代表するロックバンドへと成長しましたが、その始まりは「2001年」のこと。当時はスリーピースバンドとしてライブハウスなどで活動していました。

そもそも尾崎世界観さんは中学校の頃からギターを弾くようになり、出身高校である修徳高校に在学していた頃にはバンド活動をしながらも1人でラジオを聴いたり本を読んで考えることが多かった少年だったそう。

そして音楽の道を目指すようになったのは、次のような思いがきっかけだったと語っています。

音楽で失敗しても他の道はもっとうまくいかないだろうと考えていて、安定した職業に就くよりも音楽で成功する道を目指した。

クリープハイプ自体は17歳当時に地元の友達であった当時のメンバー2人と結成したのですが、当時から「これ(バンド活動)で食べていく」と心には決めていたようですね。

 

ただし、音楽の道やアーティストとして食べていけるようになることはそう簡単な話でもなく、尾崎世界観さんは高校卒業後は東京・神楽坂にある「加藤製本会社」に就職しています。

その理由は「本が好きだから」というものだったそうですが、そうして会社員として働きながらバンド活動も続けていました。

 

しかしながら仕事よりもバンドの方が大切だった尾崎世界観さんは、1年足らずで製本会社を辞めてアルバイトを転々とする状態が続いていきます。

その下積み時代は長いものでクリープハイプのメジャーデビューまでを考えると「10年」近くにまで及び、その頃のことを尾崎世界観さんも以下のように語っていました。

絶望的な状態でしたね。

(会社を)辞めた後も、あのままずっと働いていたらどうなっていたんだろうって思うことが何度かありました。

神楽坂の別の印刷所にバイトの面接を受けにいったこともあったんです。そうしたら、その帰り道にたまたま斉藤くん(製本会社の同期)が向こうから歩いてくるのが見えて。なんだか気まずくて、思わず隠れちゃったんですよ。

それが自分でもすごく悲しかった。バイトも決まらないし、音楽もうまくいかない。俺は何をやってるんだろう、と思ってました。

今では脚光を浴びている尾崎世界観さんですが、こういうリアルな体験談からは自分達にも想像できないほどの苦悩があったことでしょう。

 

そうして下積み時代を耐えていった尾崎世界観さんですが、2004年の24歳当時にメンバーが脱退し1人のユニットとなってしまいながらも、その1年後には以下の現在のメンバーを迎えることとなります。

  • 尾崎世界観(ギターボーカル)
  • 小泉拓(ドラム)
  • 小川幸慈(ギター)
  • 長谷川カオナシ(ベース)

この4人で改めて本格的に活動することになった「クリープハイプ」は2012年4月にアルバム「死ぬまで一生愛されてると思ったよ」でメジャーデビューを果たし、2014年にはついに武道館2デイズが成功。人気バンドとして数多くのファンを魅了していくのでした。

一時は製本会社に就職したりメンバーの脱退など簡単なことばかりではなかったとは思いますが、学生時代から思い描いていた「音楽の道を目指す」という夢を諦めなかったからこそ、尾崎世界観さんの今もあるのだと思います。

改めて尾崎世界観さんもといクリープハイプの年表をまとめておきますが、こうして見てみると長年の努力が実って本当に良かったとファンとしても感じますね。

  • 2001年:クリープハイプを結成。3 ピースバンドとして活動を開始する。
  • 2008年9月:メンバーが脱退し、尾崎世界観の一人ユニットとなる。
  • 2009年11月:Gt. 小川幸慈 Ba. 長谷川カオナシ Dr. 小泉 拓を正式メンバーに迎え、本格的に活動をスタート。
  • 2012年4月:メジャーデビュー。
  • 2014年4月:日本武道館2Days公演開催。
  • 2016年6月:尾崎世界観 小説「祐介」発表。
  • 2017年5月:尾崎世界観 エッセイ「苦汁100%」発表 。
  • 2018年3月:尾崎世界観 エッセイ第二弾「苦汁200%」発表。
  • 2018年5月11日:4年ぶりの日本武道館公演開催。

尾崎世界観の芸名の由来や意味

 
 
 
 
 
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そんな尾崎世界観さんの本名は「尾崎祐介」であると前述しましたが、そもそもなぜ本名ではなく「尾崎世界観」という芸名で活動するようになったのか気になる人も多いでしょう。

そのことについては尾崎世界観さん本人の口や公式HPなどでも公表されており、実はライブを観にきたお客さんや関係者から「独特の世界観がある」と言われることが多かったのがきっかけだったのです。

 

それは2005年のこと、当時の尾崎世界観さんは21歳。製本会社を辞めてアルバイトをしながらバンド活動をしていた頃のことです。

「独特の世界観がある」そう言われることは人によっては嬉しいことも悲しいこともあるとは思いますが、夢に向かって悩みながらも努力していた尾崎世界観さんにとってそんな曖昧な評価をもらうことは決して喜ばしいことではありませんでした。

あのまま会社を辞めずに働き続けていたらどうだったんだろう。そう思いながら同僚に出くわすのも気まずくて身を隠す日々。音楽もバイトも何もうまくいかない。

アーティストになる夢を追いかける道中でそうして悩み苦しんでいた尾崎世界観さんは、当時「確かなもの」を掴みたかったはずでしょう。

 

そんな中言われた「独特の世界観だね」なんて皮肉に半ば逆ギレするような形で、尾崎世界観さんは尾崎祐介改め「世界観」と自らを名乗るようになったのでした。

その芸名の由来や意味に関するエピソードとして、インタビューでも尾崎世界観さんは以下のように語っています。

『尾崎世界観』という名前は、ほとんどふざけてつけたようなものなんです。バカですよね、10年以上もこの名前でやってるなんて(笑)。

でも、そうやって名前をつけたことで一つの分岐点が生まれて、もともとの自分がもう一本の道を歩き続けているような気がするんです。

コメントに付け加えるような形で、尾崎世界観さんは「もともとの自分がもう一本の道を歩き続けている」とも言っています。

これはつまり「もう1人の自分=アーティストの夢を諦め製本工場で働き続けている自分」が今も自分の中にはあるということで、それは同時に尾崎世界観ではなく「尾崎祐介としての人生」も選択肢として存在するということでもあります。

でも、そうではなくて自分は「尾崎世界観としての人生」を生きていく、夢を諦めず音楽の道で生きていく。決してヤケクソなだけではなくそんな強い決意や意味合いが「尾崎世界観」という名前には込められているのです。

尾崎世界観の本名がタイトルとなった小説「祐介」

また、尾崎世界観さんは自身の名前の由来ともなった下積み時代をモチーフに描いた物語として、2016年6月に小説「祐介」も出版しています。

この小説は自身の本名である「尾崎祐介」からタイトルを取っており、売れないバンドマンの生活を尾崎世界観さんの経験を元に「半自伝的」に描きました。

基本的なあらすじはこちら、ちょっと刺激的ではありますが尾崎世界観らしさが滲み出ているので気になった人はぜひ読んでみてください。

「俺は、俺を殴ってやろうと思ったけれど、どう殴っていいのかがわからない。」

スーパーでアルバイトをしながら、いつの日かスポットライトを浴びる夢を見る売れないバンドマン。ライブをしても客は数名、メンバーの結束もバラバラ。恋をした相手はピンサロ嬢。

どうでもいい性行為や些細な暴力。逆走の果てにみつけた物は……。人気ロックバンド・クリープハイプの尾崎世界観による、「祐介」が「世界観」になるまでを描いた渾身の初小説。

たったひとりのあなたを救う物語。

 

ちなみにこの小説「祐介」についてはその刺激的で過激な内容から「これって実話なの?」と気になる声も多いようですが、描かれている物語はあくまで「半自叙伝」的なものであり、完全なる実話ではありません。

ただ、それでも売れないバンドマンである主人公に尾崎世界観さんが自身の姿を重ね、「もしバンドを諦めて会社で働き続けていたら」という仮想世界をリアルに描いた渾身の物語です。

この小説を書くことによって当時解散の危機にあったクリープハイプに対するモチベーションを取り戻すことができたとも語っており、尾崎世界観さんにとっては自身の本心と向き合い夢を再確認するきっかけとなった大切な1冊なのでしょう。

 

何より、そんな尾崎世界観さんが抱えてきた苛立ちや苦悩は、小説はもちろんクリープハイプの楽曲にも現れており、バンドマンとして毎日毎日悩み苦しみながらも努力し続けた下積み時代は、尾崎世界観さんの「音楽」そのものの原体験とも言うことができます。

クリープハイプもとい尾崎世界観さんのファンにとっては見逃せない1冊でしょう。自分も何度も読み返していますがリアルで切ない尾崎世界観さんの感情がダイレクトに伝わってくる、オススメの小説です。

「クリープハイプ」尾崎世界観以外のメンバーも名前が独特

ちなみに「尾崎世界観」というボーカルの芸名が印象的なバンド「クリープハイプ」ですが、尾崎世界観さん以外にもちょっと独特な名前のメンバーがいます。

それが上記「長谷川カオナシ」さん、クリープハイプにおいてはベースを務めており作詞や作曲をする機会もあります。

 

そんな長谷川カオナシさんの芸名の由来について気になる人が多いようですが、やはり「カオナシ」が本名だと思う人も流石に少ないですよね。本名だったら両親がどれだけ「千と千尋の神隠し」のファンなのか…。

実は長谷川カオナシさんの本名について、尾崎世界観さんのように本人の口からこれまでに明かされたことはないのですが、以前ベーシストとして所属していた「東京Freestyle CLUB」で「北村新太郎」という名前で活動していたことが判明しています。

2006年から2009年初頭まで「北村新太郎」として東京Freestyle CLUBで活動していた長谷川カオナシさん、これが本名かどうかは定かではありませんが大方名前に近いものだと考えて良いと思います。

ちなみにこの東京Freestyle CLUBを脱退してから今の「長谷川カオナシ」という芸名で活動するようになったそうで、そのことについてインタビューでも以下のように語っていました。

自分で付けました。高校時代に組んだ3ピース・バンドでずっとベースをやっていたんですけど、それを抜けたのが2009年の3月で。そこからひとりで音楽をやろうと思って。

そのときに、どうせなら本名じゃつまらないし、何かインパクトのある名前で活動したいから、自分にDQNネームを付けようと思ったんです。

だから、“君の音楽の世界観はいいね”って言われたらから名前に“世界観”って付けたみたいな、素敵なエピソードはないです(笑)。

(中略)

“カオナシ”って自分にピッタリだなと思って。宮崎駿監督が作ったあのモンスターが、ものを言えない若者の象徴みたいだなと思って。当時、私が書いていた曲もそういう感じがあったので、“カオナシ”でいいやって。

尾崎世界観さんのような素敵なエピソードはないとのことですが、長谷川カオナシさんの芸名の由来となるエピソードも十分にインパクトがありますよね。

ただこれがDQNネームかどうかはちょっと微妙なラインかもしれません…笑、何れにしてもユーモアで覚えやすい名前にしたことが吉と出ていることは確かでしょう。

 

長谷川カオナシさんはベースだけでなく時折ボーカルを務めることもあり、それもまた味のある良い楽曲ばかりなので聴いてみると良いかもしれません(「グレーマンのせいにする」「ごめんなさい」「火まつり」などなど)。

簡単な長谷川カオナシさんの経歴もまとめておいたので、合わせてチェックしてみてくださいね。

  • 2005年11月:東京FreeStyle CLUBにメンバーとして加入。(Ba.Cho)
  • 2006年1月:東京FCを一時離脱。
  • 2006年4月:東京FCの正式メンバーとして復帰。
  • 2009年3月18日:「もっと色んなことがやりたい。」「もっと色んな人とやりたい。」という理由で、同CLUBを脱退。
  • 2009年6月:クリープハイプのサポートベーシストを始める。THE RODEOSのサポートバイオリニストを始める。どさくさに紛れて、ソロ活動開始。バイオリンを持つ。
  • 2009年9月:THE RODEOSのデモテープの録音に参加する。同時に契約満期となり、THE RODEOSのサポートを終了。
  • 2009年10月:ロックシンガーSUNGIのサポートバイオリニストとして一夜だけステージに立つ。クリープハイプのマキシシングル「mikita.e.p」発売。
  • 2009年11月:3月に掲げたビッチ的信念が崩れ去り、クリープハイプの正式ベーシストとなる。

尾崎世界観は「Hey!Say!JUMP」伊野尾慧とそっくり似てる説もあるが本人は…

尾崎世界観 伊野尾慧

さて、それでは話を尾崎世界観さんに戻していくと、芸名や本名の県とはちょっと種子が変わりますが「Hey!Say!JUMPの伊野尾慧とそっくり似てる」なんて言われることが頻繁にあるのです。

もはや見分けがつかないとまで言われている尾崎世界観さんと伊野尾慧さん、物は試しということでまずは上記画像で2人を比較してみましたがいかがでしょうか。

人によっては感じ方も違ってくるとは思いますが、個人的には尾崎世界観さんと伊野尾慧さんは「めちゃくちゃそっくりで似てる」と思います。画像によっては見分けがつかないレベルです。

 

ちなみにそんな「伊野尾慧とそっくり似てる説」は尾崎世界観さん本人も自覚しているようで、2018年に「めざましテレビ」に出演した際にそのことについて話していました。

番組内でゲストとして登場した尾崎世界観さんに軽部真一アナが「木曜のレギュラーの伊野尾慧くんに似ているというような話もあるんですけど」と、めざましテレビに出演しているHey!Say!JUMPの伊野尾慧さんと尾崎世界観さんが似てると話を振ります。

そのことについて尾崎世界観さんはちょっと否定しつつ、コメントで以下のような面白おかしいエピソードを話していました。

これが本当に怖くて、髪型だけなんですけど…。

(中略)

Twitterでエゴサーチをよくするんですけどよく書かれてて、「伊野尾くん今日調子悪いと思ったら尾崎世界観だった」って書かれてるんですよ。ひどいですよね(笑)

まさに「調子の悪いバージョンの伊野尾慧」だと言われてショックを受けている尾崎世界観さんでしたが、なかなかに悲しいエピソードですよね…笑。

伊野尾慧さんはジャニーズということもありいつもハキハキとしていますが、尾崎世界観さんのあのちょっと気怠く抜けた感じが、ファンにとっても「あ、伊野尾慧だと思ったら違うじゃん」となってしまうのかもしれません。

実際にツイッターなどネット上では尾崎世界観さんと伊野尾慧さんが似てるというエピソードに関する投稿も、以下のように多く見られました。

https://twitter.com/bil_li_on/status/1070334861909516288 https://twitter.com/berry_201606/status/1034563106557444097

やはり髪型がほぼ同じマッシュルームヘアーなのが原因なのでしょうか…伊野尾慧さんは身長が170cmちょっとで尾崎世界観さんは165cm程度とサイズ感は少し違うものの、テレビでふと見かけたら見分けがつかないという人も多いのかもしれません。

尾崎世界観さんにとってはあまり喜ばしいことではないので、うんざりという様子でしたが…笑。

まとめ

ということで、人気ロックバンド「クリープハイプ」の中心的人物である尾崎世界観さんについて、「尾崎祐介」という本名や芸名の由来・意味、そしてHey!Say!JUMPの伊野尾慧さんとそっくり似てるという説などについてチェックしてきました。

「尾崎世界観」という名前に至ったエピソードは独特で印象に残るものでしたね、今では大人気アーティストとなった尾崎世界観さんにも下積み時代と言える苦しい時期があったことがわかりました。

そんな過去の経験を経て今の尾崎世界観さんがいることは間違いありませんし、今後も伊野尾慧さんと「見分けがつかない」と言われることをたまにボヤきつつも、尾崎世界観さんらしさ全開で活躍していって欲しいとファンとしても思います。

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